日常を想像する - ある少女 -

10年前に亡くなった、祖母の出身地に行ってみました。大正4年生まれ。 生きていたら100歳。
生前、あまり出身地のことは語りたがらなかったらしく、伯母や母が思い出をちらっと聞いているぐらいで、生まれた町の名前がわかったのが3年前。今年になってやっと、母と一緒に行くことができました。

図書館

まずは、町立図書館に行き、町史や歴史の本などをチェック。
この町は、小さいながらも古代から交通の要所で人の行き来が多かったこと、
海と山の両方の産業が発達したこと、文化的に豊かな町であったことがわかりました。

司書さんに理由を話して、町の地図を複写してもらったついでに、
役場にお勤めだった93歳の方のことを教えていただき、その方を訪ねることを勧められました。
お昼時なので後にすることに。

神社

神社に行きました。昔は海から直接参拝できたらしい古社。
ここではきっと七五三のお祝いをしたに違いないと思います。

小学校

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神社の向かいの町に1つだけある小学校へ。小さい町なのに体育館など建物が多く敷地も広い学校でした。
曽祖父、曾祖母とも先生だったらしいので、たぶんここが勤務先かつ祖母も通った小学校と推測。
ということは、徒歩圏に家があったのだろうと思いました。

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商店街らしきエリアにある店は、90年ぐらい前にもあっただろうか、と思いながら町をうろうろ。どうも大正時代に一度火事で村が焼けたらしく、歴史は感じるけれど、建物はそんなに古くない、というお店が多かったです。


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この川沿いや、お寺で遊んだはずで、この海と山を見ていたに違いない、と思いました。



元役場勤務の93歳の方のご自宅にお伺いすることに。この町は家ごとに表札を用意する必要がないみたいです。
突然の訪問にも関わらず、親身になって話を聞いてくださいました。
この方が役場に勤めたのは、戦後大人になってから、また、山の方の出身とかで、
祖母とはこの町にいた時期がずれていたことがわかりました。
ですが、その方の顔立ち(色白で彫りは深くない)が、なんとなく祖母と似通っていて、
この土地のひとの顔の共通点なんだろうなと思いながら、お別れしました。

町の歴史

歴史民俗資料館にも行きました。
明治・大正期の写真が何枚かあって、小学校の写真や、町並みの写真が。
こんな感じだったのだろう、とイメージすることができました。古写真収集活動のありがたみ…。
図書館で読んでいて欲しいなと思っていた町史を購入。93歳の方も執筆者のお一人でした。

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15歳まで暮らして、その後、戻ることはあったのかどうか。晩年出身地にもう一度行きたいとは思わなかったみたいです。
「海は嫌だった」と言っていたらしく、どんなに厳しい海なのだろうかと思っていたら、驚くほどに穏やかな内海でした。
10代で、両親とも相次いで亡くしたらしいので、そんな時見ていた海は好きになれなかったのかもしれません。


私が知っているのは、60代から80代までの祖母で、「おばあちゃん」でした。
なぜか和食より洋食が好きで、パンが好きで、
80歳で、「死ぬ前にヨーロッパに行きたい」って言い出して、私たちと一緒にフランスとイギリスに行って、
手先が器用で編み物が得意で、万葉集が好きで短歌を詠んでいた祖母。



この地域では一番の都会で、明治27年の小学校の写真があるということは、いち早くカメラも入ってきたようで(今も狭いエリアに写真店が4軒も)
この町で暮らしていたら、ハイカラなものが好きになるだろうな、ととても納得がいきました。
また、文化人も多く、歌会も開かれていた(女性の参加もあった)と、
大正時代に小学校には裁縫学校も併設された、と町史の本で知ったことで、
女性の地位も当時にしては高い方の町だったのではないかと思われます。



祖母からもう話を聞くことはできないし、伯母や母が覚えている話もそれほどたくさんはありません。
でも、実際に町を歩いてみて、町の背景となる情報も集めてみて、確かに、この町で少女時代を過ごしたんだと思えて、私の知らないはずの、桃割れを結って学校に通って、成績もよかった少女のイメージがくっきり浮かびました。

おだやかで美しい内海を、また見に来ようと思っています。


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先日のワークショップで、祖母の60-80代の日常について考えようと思ったのですが、
一緒に住んでいなかったこともあり、うまく思い出すことができませんでした。
今回の旅の方が、祖母のことをいろいろ思い出せたように思います。