日常記憶地図とは - ミオ(3→6歳)のお父さんの場合 -

ミオくんのお父さんが、日常記憶地図について思うことを書いてくださいました。


人にもまちにも強くフォーカスしているわけでなく、ある時期のある人の「暮らし」と、そこから見えるまちの様子に関心があること、
日常記憶地図が時間を含んでいること、に言及していただきとてもうれしいです。


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「道には思いや風景が念として残るし、映しだされるんだよ・・」

サトウアヤコさんが3年前からされているプログラムが「日常記憶地図」。
僕というか当時3歳の息子目線で大阪・谷町~からほりのまちを地図化していくことをしていただいた。

うちの子以外にも、このまちで生まれ育った人。仕事や生活のエリアの人。20年前のこの界隈で暮らされていた人。大阪市街地を南北や東西に移動するときに通り抜ける人。などが確か、サトウさんによって地図化されていった。


さて冒頭の「道には思いや風景が念として・・」学生時代に下宿の裏手に奈良時代に街道だったという山道があり、そこでは夜中になるといろんな足だけの風景が霊感ある人たちには見えると評判であった。
これはたぶん奈良時代からの日常風景やそこを通る人々の暮らしが時空を超えて、可視化された現象なんだろうな。ということを思い出しました。


サトウさんの「日常記憶地図」が面白いのは、まちが主役でもなく、選ばれた人が有名人や意図ある人でもない。たまたまこの回は谷町界隈であったが、違う土地でもいい。また縁あってうちの当時3歳の息子でやってもらったが、もちろん誰でもいいのかもしれない。
そして現在6歳になった息子でまた「日常記憶地図」をやってもらったら、それは3歳の息子の上書き保存ではなく、また別物となる。


じゃあなんなのか・・そのまちの或る人のそのときの暮らしが抽出されて、保存されていく。生まれ育った人になると長い年月になってしまうけど、本来は限られた時面(勝手に造語した。時という線を切り取って、暮らしやまちを面として捉えるという意味。)を地図化していくプログラムなんだと思う。
人生論やまちの紹介ではなく、いろんな人の暮らしが地図化された時面の羅列がこの「日常記憶地図」という作品なのである。


ただたまたま3歳の息子と23歳のここで生まれ育った方と20年前にこのエリアで当時20代の駆け出しとして暮らされていた方の「日常記憶地図」を並べたときに、この3者が共通点をお互いに感じて、シンパシーがうまれ、時面を超えて対話ができた。


サトウさんにはこの「日常記憶地図」を通して、いろんな人のいろんな土地のいろいろんな時代のいろんな暮らしを<フリーズパック>していって欲しいですね。

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